こんにちは、nono(@nn00km)です。
先日、「誰かにとって居心地のいい場所は、誰かにとって居心地の悪い場所」という言葉を聞きました。
なんだかもやっとしたので、今日はそのことについて考えてみようと思います。
この記事の目次
皆に優しい場所は作れない?
たぶん、私が一番引っ掛かっていたのはこの部分。
誰かにとっての居心地のよさを目指すと、別の誰かを居心地悪い気持ちにさせてしまう。
私はそれがすごく嫌で、同じ世界にいる人たちが不快に思うことをなるべくたくさん拾い上げて、取り除いていきたいって思っていました。
皆を大事にしていきたいなって。
自分の幸せと相手の幸せどっちもほしい。
それを実現する方法って本当にないんでしょうか。
そもそも居心地のいい場所は人それぞれ違う
まず大前提として、居心地のいい場所は人それぞれ違います。
それは性格や育ってきた環境、文化が違うからです。
同じ地区だからと集められた学校で、上手く馴染める子と馴染めない子がいるのもそういう理由だと思うんです。
「先生の言うことをきちんと聞ける子供」が好まれたりするけれど、それはたまたまその子にとって適していただけ。
指示を受けるのが苦手だったり、じっとしているのが苦手な子も、きちんと環境を整えていれば、のびのびと生き生きと過ごせるのだと思います。
価値観のあうあわないも同じこと。
話をしていて、自分と違う価値観をもっているな、と思う人がいたとしても、どちらがいいとか悪いとかではなくて、ただ単に生きやすい世界が違うのだと思います。
大事なことは、暮らしやすい世界が違う人たちがいることを知り、それを認めることです。
誰かにとって居心地のいい場所と誰かにとって居心地のいい場所が共存する方法
それは、自分とは違う考えをもつ人を認めつつ、それぞれ居心地のいい場所で生きていくことなのかなと思います。
無理に一緒に過ごさなくてもいいんです。
自分と違う人たちを嫌だなと思ったり、関わりたくないなって思ったり。
そういう気持ちを無理に押し込める必要はありません。
私たちは仏様じゃない。
受け入れられなくたっていいと思います。
ただ、自分とは違うからといって、排除しようとしたり、除け者にしたりはしないでほしいです。
個性の違う人たちが集まる中で、皆に優しい場所ってそういう場所なのだと思います。
自分にとって居心地のいい場所を自分で選ぶ
誰かにとっての居心地のいい場所が誰かにとって居心地の悪い場所になってしまうのは、仕方のないことなのかもしれません。
けれど、今いる場所を居心地のいい場所にするのか、それとも別の場所に移るのか、はたまた現状で我慢するのか。
それは自由に選択することができます。
せっかくなら、のびのびいられる場所にいられたらな、と思います。
自分にとって居心地のいい場所を見つけたら、大事に大事にしていきましょう。
そうすると、大事にしている気持ちが誰かに伝わって、自分自身も大事にされるようになると思います。
心が満たされていけば、自分の過ごす場所以外の人にも優しい気持ちになれるはず。
そうして優しい気持ちが広がっていけばなと思います。
私にとって居心地のいい場所が誰かにとって居心地の悪い場所なのだとしたら、
私にとって居心地の悪い場所は誰かにとって居心地のいい場所なのかもしれません。
それを忘れないようにしたいなと思います。
終わりに
読んでくださってありがとうございました。
最後にこの間聞いたあやにーさんのボイシーがとてもよかったので紹介しておきます。
nono